三億円事件 警察官 犯人は息子である根拠と現在はどこにいる

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未解決の謎に包まれた「三億円事件」は、長年にわたり多くの推理と疑問を生み出してきました。特に注目されているのは、若き日の少年Sによる犯行説です。

この事件における中心人物、19歳の少年Sは、その父が警察の交通機動隊で中隊長を務めるなど、警察組織との深い繋がりを持っていました。

しかし、この謎多き事件は、少年Sが事件後5日目に青酸化合物を用いて自ら命を絶ったことで、さらに深いミステリーを残しました。その後も真犯人を特定することなく、1975年12月10日には公訴時効が、そして1988年12月10日には民事時効がそれぞれ成立し、事件は公式に未解決のまま時の彼方へと消えていきました。

しかし、事件から半世紀が経過した節目に、ある人物が「三億円事件」の犯人であると名乗りを上げました。その人物は、白田と名乗り、小説投稿サイト「小説家になろう」にて『府中三億円事件の幕開け――少年Sとの出会い』と題した作品を発表し、新たな波紋を広げています。

今回は、昭和を震撼させたこの未解決事件について、新たに浮上した疑問点や、犯人と目される芸能人の噂など、最新の情報を簡潔に解説してみました。

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三億円事件の犯人がなぜ警官の息子と言われたのか?

「三億円事件」として知られるこの衝撃的な事件は、52年前の1968年12月10日の午前9時20分ごろに発生しました。

事件の舞台となったのは、府中刑務所の隣で、ここで東芝府中工場の従業員たちのボーナスとして約3億円が積まれた現金輸送車が、偽の白バイ警官によって停車させられたようです

この巧妙な手口は、その後の捜査をも混乱させることとなり、日本の犯罪史上において長く語り継がれる事件へと発展しました。

犯行当日、偽装した白バイ警官を演じた犯人は、現金輸送車に対して「車内に爆弾を設置した」と警告しました。その上で、車の下部を点検するかのように見せかけながら発炎筒を点火しました。

煙が立ち上ると、犯人は「爆発物だ!すぐに離れろ!」と叫び、車内にいた銀行員4名を車外に急がせた後、運転席に乗り込み、車両を奪って逃走しました。この一連の犯行はたったの3分間で完了しました。

この事件の捜査には、合計で約17万1805人の捜査員が投入され、調査を受けた人数は約11万7950人に上りました。事件発生から11日後、警察は目撃者の証言に基づいて作成されたとされるモンタージュ写真を公開しましたが、実際には1年半前に亡くなった人物の写真が使用されていました。この写真は、以前その人物が不法に銃砲刀等を所持していた際に撮影されたものでした。

警察は、故人の写真にヘルメットを加えて、それをモンタージュ写真として発表しました。この行動の背景には、故人が事件後2日で容疑者として名前が挙がった警察官の息子、少年Sに似ていたためとされています。警察は、少年Sの実際の顔写真を公開することで、警察幹部の息子が犯人として指名手配される事態を避けたかったのです。

さらに、警察はモンタージュ写真を公開する前に、少年Sの写真を含む容疑者の写真群を現金輸送車の運転手たちに見せていました。彼らに犯人と思われる写真を選ばせたところ、全員が少年Sの写真を指摘したと報じられています。

三億円事件の少年Sの正体 名前は関根篤

「三億円事件」の真実は今もなお謎に包まれていますが、疑惑の中心にあるのは少年Sという人物の関与です。

警察は少年Sを主要な容疑者と見ていましたが、その名前は長らく非公開でした。それにもかかわらず、白田と名乗る人物が書いた小説では、彼の名前を省吾(しょうご)としています。一方で、関根篤という名前も浮上しており、真実のほどは定かではありません。

もし白田の主張が事実で省吾が本名だとすれば、彼が「少年S」であることになります。しかし、白田の話を一旦置いておき、少年Sについての他の情報を見てみましょう。彼は立川に拠点を置く暴走族「立川グループ」の中心人物で、バイクの扱いに長けていたとされています。

また、彼の仲間は「三億円事件」直前に、発煙筒をダイナマイトに見せかけてスーパーのレジを襲う事件を起こしています。この手法は「三億円事件」と酷似しています。さらに、少年Sとその仲間たちは、地元の「立川バス」の給料を運ぶ現金輸送車を襲う計画も立てていたと言われています。

そして、東芝の総務部にいたコピー係が少年Sの一味であったことも重要な情報です。このコピー係がボーナス支給日を知っていたのは自然なことで、この点からも警察は少年Sを犯人と見ていたようです。

白田が「小説家になろう」に自らが三億円事件の犯人であるかのような物語を投稿したことは、インターネット上で大きな波紋を呼び、多くの注目を集めました。

この突然の告白を行った背景には、「息子に自首するよう促されたため」という理由があり、白田の原稿を息子が読みやすく修正して投稿したとのことです。

彼の最初の投稿作品『府中三億円事件の幕開け――少年Sとの出会い』は、後に「府中三億円事件を計画・実行したのは私です」と題する小説として出版されましたが、いずれも事件の新たな事実を明らかにするものではありませんでした。

投稿された物語には、15歳の白田が少年S(省吾)とどのようにして出会ったか、そしてバイクの運転技術に長けていた白田が少年S(省吾)から挑戦され、レースを行ったエピソードが含まれています。このレースでは、少年S(省吾)が途中で事故を起こし、白田が勝利します。白田は「自分よりも腕がいいと思っていたのに、がっかりした」と述べています。

これらの出来事がきっかけで、白田は少年S(省吾)の仲間入りを果たしたとされています。しかし、後に出版された小説も内容が薄く、事件の詳細や盗まれたお金の行方については触れられていません。主に当時の恋愛や人間関係に焦点を当てた内容で、多くの読者を失望させました。

白田はメディアのインタビューで、盗んだお金の使い道など、興味深い点を続編で明かすと述べていましたが、その続編はまだ発表されていません。これにより、白田の物語が収益を目的としたフィクションである可能性が高まっています。また、白田が現実に存在する人物であれば、現在70歳を超えていることから、この2年間に亡くなった可能性も考えられます。

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