ドラゴンボールやドクタースランプアラレちゃんなど人気漫画を描いていた鳥山明さんが68歳という若さで亡くなったというショッキングなニュースが入ってきました
鳥山明さんは名古屋市出身で、人気漫画家になってからは、隣の愛知県清須市に自宅があります
まるでアニメの世界のような鳥山明さんの個性的な自宅
ファンの間でも聖地と呼ばれていたそうです
鳥山明の若い頃 生い立ちは
鳥山明さんは1955年4月5日生まれで愛知県名古屋市出身です
幼い頃、鳥山さんの実家は貧しく「両親共にのんびり屋の性格で、食べ物を買うお金がない代わりに、両親は二人でワルツを踊るような人だった」と話されています
鳥山明さんは幼い頃から絵を描くことに情熱を傾け、食事を忘れるほど漫画作成に没頭していたんだそうです
鳥山さんは、欲しいものがあればそれを手に入れるか興味を失うまで絵を描き続けるという習慣があり、この習慣は漫画家としてのキャリアを通じても続いています。
若い頃に通っていた絵画教室で「101匹わんちゃん大行進」を描き、表彰されたことが自信につながりました。
また、小学生時代には写生コンテストで数回賞を受賞し、高校生の時には美化キャンペーンのポスターで全国コンペティションにおいて高校生部門で入賞しました。
鳥山さんには妹がおり、子供の頃はしばしばいたずらをして父親に叱られたんだそうです
鳥山さんは高校を卒業後、デザイン会社に勤めましたが、主に文字デザインを担当することに飽き飽きし、また遅刻がちであったため、2年半で退職
その後、約1年が経過した頃、カフェで偶然目にした少年マガジンの「新人作品募集・賞金50万円」の広告に心を動かされました。
当時、遊びの資金に困っていた鳥山は、賞金目当てで漫画を描き始めたのです。特に、タバコを買うための資金が欲しいという理由で新人賞に応募したのがきっかけなんだそうです
鳥山明が漫画界に足を踏み入れるきっかけは、意外な出来事から始まりました。彼が完成させた作品は、少年マガジンの新人賞応募の締め切りには間に合わず、結果的に少年ジャンプの新人賞へと投稿することになりました。この作品が、当時ジャンプの編集者であった鳥嶋和彦の目に留まることとなります。
賞金を獲得することはできなかったものの、鳥嶋は鳥山の作品に未来を見出し、「もっと作品を送ってほしい」と励ましたのです。鳥山はこのアドバイスを受けてジャンプに作品を送り続け、その過程で鳥嶋から約500ページに及ぶボツを経験しました。
この一連のやり取りがきっかけで、『ワンダー・アイランド』を通じて漫画家としてデビューを果たしました。鳥山のユニークな画風は、他の連載漫画家としてのアシスタント経験がなかったことも影響しているかもしれません。
鳥山明の清須の自宅がスゴイ
こちらが鳥山明さんの自宅の外観です
地元ではアラレちゃん御殿とも呼ばれていて、ドラゴンボール連載時に建てられた家です
現在も鳥山明さんの自宅を見に県外はもとより海外からも来られ、地元の人に聞けばほぼ教えてくれる有名な場所となっておりファンの間では聖地となっています
鳥山さんは名古屋市出身ですが通われていた中学は清須市立清洲中学校
当時、清須市(西春日井郡)は田んぼと畑しかなく、アラレちゃんが住んでいるペンギン村のモデルになった場所としても有名です
鳥山明が名古屋市に住んでいたのはいつまで?
鳥山明さんの出身は愛知県名古屋市となっていますが何区住んでいたのか明らかになっていません
兵庫県神戸市へ引っ越され、卒業されたのは神戸市立妙法寺小学校と言われています
その後中学生の時に愛知県清須市に引っ越されているので名古屋市に住んでいたのは幼少期だけのようです
ちなみに愛知県清須市は名古屋市中村区のすぐ隣で、名古屋駅まで電車で20分ほどの距離にあります
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